形のない作品の制作

何かモノを作る事でしか、対話できないのなら、作り続けるしかない。
言葉で、対話できるのなら、言葉を発すれば良い。
個々が、情報の取捨選択を行い、
必要と感じる情報の共有時点で、個々の門が開かれつうじあうなら、
その門をこじ開けることが情報共有には必要なことになる。
またこじ開けることが目的になることもある。
物体の共有や所有。
空間の共有や所有で、アートという場が成り立つなら、
その空間を成立さえさせれば良いのではないか。
無数に広がる物質をこねる前に、その場の構築が必要なのではないか。
構築した空間にあやかしのようにシーツをまいて。
作品が機能するのは、展示空間より、自己空間であってほしいと思う。
そこに喜びを感じ、その光景を創造する。
作品を買ってくれる人々の風景を常に意識せざるおえない。
いろいろ考えるけど、楽しんでやっているのは事実で。
考える時間があるだけ、贅沢な人生なのかもしれない。
いままで出会えなかった人たちと出会えたり、
行こうと思っていなかったところで生活できたり。誰にも計れない。
今を大事にしつつ、先の未来に希望をもっていきたい。
空間の空気、時間の時間性から、解き放たれる事はずっとない。
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